担降りして元担に戻るまでの話

どこにでもいる普通のジャニヲタです。
Twitterの文字数に限界を感じてはてブロ登録したものの、ジャニーズを好きになってからと、担当というものについてつよく考えまくったこの直近2年ほどのことを書いておかないとすっきりしないのでとりあえず書きます。超絶自己満足回顧厨自分語り乙なのでご了承ください。ほんとうに長文です。

初めて好きになったジャニーズはSMAP木村拓哉さんでした。アイドルというものの素晴らしさをわたしに植えつけたのは木村拓哉さんです。思い詰めて学校の技術家庭の授業で木製のペーパーナイフを作ったときに「木村拓哉」と彫ったんですが、いまだに実家で母がそれを使っているので見るたびに胸のあたりがむずむずします。頼むからやめて…でも捨てないで…

その後デビュー前の井ノ原・長瀬コンビにどハマりし(ツインズ教師は最高)、TOKIOやV6のデビューを見届け、そこで狂おしく好きになったのはV6と三宅健くんでした。学生でお金がなかったので他ユニ担の友人とお金を出し合いドル誌を買い、それぞれの担当のページを切り取って1ヶ月舐め回すように読む日々。信じられないかもしれないけど、あの頃はTwitterなんてものはなかった。

高校を卒業し大学に入り、なんとなくジャニーズから遠のき、有名なJr.は把握していたしデビューには敏感だったものの、その辺りは今でも悔やまれるところですがはっきり「ジャニヲタとしてのブランク」といえます。
なんつーか楽しかったんすよね!おたく趣味以外のことが。ちょっと都会に出たから魅力的なものが街にはあふれていて、新しい友人や彼氏と遊ぶのが楽しすぎるクソ大学生でした!わたしがクソ大学生だったことはこの記事ではわたし自身クソどうでもいいですけど!

そしてジャニヲタとしてのブランク期間を着々と更新し続けていたわたしですが、久々にジャニーズのアイドルにドキッとすることになります。

錦戸亮くんです。

元々妹が関ジャニ∞の結成当初からのファンでよく話を聞かされていたのですが、ブランクの時期は「ジャニーズかあ、ものすごく好きだったなあ」くらいの気持ちなのでそりゃ聞いてる方も話半分です。あの頃妹に聞いた話はほとんど覚えていません。
いまヲタ卒した妹にジャニーズの話しても話半分ですからね!仕方ねえ〜ブーメランとはこのことだ〜と思いながら話し続けてます!友達が近くにひとりもいないので!

まあとにかく、久々に見た錦戸亮くんがとんでもなくかっこよかったんです。えっ、子供だった錦戸くんがこんな…?とジャニーズの成長にビビるわたし。ほくそ笑む妹。
そこからはお察しの通りです。ジャニーズに落ちるときの坂の勾配はジャスト90度ですから。気になるかもしれない〜!=こちら側、です。完全に出戻りです。

CDを聴いたり少クラを見たり、関ジャニ∞の知識を深めていく日々。You&Jのおかげで3ユニに詳しくなるものの、やっぱり関ジャニ∞が好き!あのわちゃわちゃ感がすき!かわいい!みんなかわいい!とユニ担まっしぐらかと思っていたわたしがみんなの声の聞き分けができるようになった頃、ひとりの人の声がものすごーーーく好きなことに気づきます。

丸山隆平くんです。

あれ、声めっちゃいい…亮ちゃんばっか見てたけど実は顔もめっちゃかっこいい…あれ…と思っていたところになにかの音楽番組にエイトが出るというおしらせ。普通見ますよね。
そこでみた、丸山くんの唇から紡がれる丸山くんの声。とろけそうに甘いけどちょっとピリッとした辛みもある深い声。身体中に電気が走ったようでした。そのときのわたしは丸山くんの声を可視化して目で捉えることができるような感覚に陥りました。声のビジュアリゼーション。能力者みたいでかっこいい。スタンドみたいでかっこいい(ジョジョが好きです)!

突然ですがMr.Childrenの「ボレロ」という曲にこんな歌詞があります。

まるで病 もう神も仏もない
紛れもなく これが恋っていうもんです
心なんてもんの実体は知らんけど
身体中が君を求めてんだよ

まさにこれなんです。一瞬の出来事でした。一瞬で焦がれるほどの恋に落ちました。妹に「丸山くんが好きです」と報告し、その日からわたしは取り憑かれたように丸山くんのことを調べ丸山くんの画像を集めドル誌を買い漁り寝ても覚めても丸山くんのことを考えていました。

そうこうしているうちにエイトはどんどん売れ始め、露出も増え、一般の人に丸山くんが好きだと言っても、誰?と言われる時代は終わりました。テレビで見られる日が増え幸せの限りです。丸山くんは舞台のお仕事もやるようになり、東京に遠征し自担の生の声を聴いて、生のお芝居を見られたのは一生忘れられないくらい最高の思い出になりました。

でもその一方、ドル誌は卒業して雑誌では見られなくなり、少クラにももうまったく出ない、エイトじゃなくてもいいじゃん…とどこ目線だよ誰目線だよなんでそんな偉そうなんだよってわかっていながらも面白くない冠番組、遠征しなければ見られないイベント、いろんなことが辛くなってきました。あの頃の自分はとにかく受け身で、自ら追うこともせず、増え続けている供給に甘え、しかもそれをきちんと消化するわけでもなく、ただただだらだらと消費していただけでした。

そんなとき、他担の友人にHey! Say! JUMPのコンサートに誘われました。わたしもHey! Say! JUMPのことは2012年頃(スパデリのあたり)から気にして見ていたので、二つ返事で行くことに。
コンサートに行くにあたって予習をしようと思い、早速DVDを購入しました。「smart」というアルバムのツアーのDVDです。
届いたその日に見始めました。再生ボタンを押し、OPからの最初の曲。脳天ブチ抜かれたような感覚でした。わたしの知ってるジャニーズじゃなかった。コンサート中にコントがないんです。MCがフェイドアウトするんです。とにかくダンス曲が多いんです。てかほとんど踊ってる!?

なにこのダンス、なにこの複雑なフォーメーション、なにこのキラキラ、なんなの!?えっバンドもやるの!?人数多いから映える〜〜山田くん美しい〜〜裕翔くんかっこいい〜〜なんなの!?
取り憑かれたように毎晩毎晩そのDVDを見続けました。ちょうど新しいアルバムが出る直前だったのですぐさま予約。
とはいえその時点では降りるなんて考えられなかった。丸山くんのことが好きだったから。丸山くん以上に好きになれる人なんているはずないと思っていたから。

実際JUMPの中で誰が、と言われるとぼんやりとしていて特に答えることもできず、ただただ新鮮なときめきと新鮮なきらめき、とんでもなくやばいブツを手に入れてしまったぜ…という感じ。

でもそのDVDを繰り返し繰り返し見ているうちにわたしの中に変化が訪れます。
体型が好き…佇まいが好み…纏う雰囲気に色気と無邪気さが混ざってて気になる…うわ、なんか目で追っちゃう…あんまり抜かれないけどいたら目が離せない…なにこの気持ち…
ぼんやりとしていたものの中にくっきりとした光を見つけてしまったんです。

伊野尾慧くんです。

伊野尾くんについて、恐ろしく顔がかわいい男の子、という程度の知識しかなかったわたしは、録画していたリトラなどを見まくったり昔のドル誌を引っ張り出してインタビューを読みまくりました。

丸山くんを好きになったきっかけは声だと上で語りましたが、その後丸山くんのことを知れば知るほど好きになりました。わたしの求めているアイドル=丸山くんだったといっても過言ではないくらい、言動すべて、丸山くんがファンにくれるものすべてが好きでした。

そしてわたしは伊野尾くんにもその片鱗を感じ取ってしまったのです。ファンが求めているアイドルでいたいという伊野尾くん。その裏にある努力や苦労を見せたくないという伊野尾くん。プライベートが謎な伊野尾くん。

わたしはそのときに初めて「担降り」を意識することになりました。でも未練タラッタラです。だって丸山くんのことが嫌いになったわけじゃないから。嫌いになるなんてありえないから。でも目の前にいる新鮮なキラキラに突っ込んでいきたい気持ちも抑えられない。1ヶ月ほど悩んで悩んでしぬほど悩んで、決めました。

そして初めてのJUMPコンに伊野尾担として入ることに。そりゃもう楽しかった。みんな信じられないほど可愛かった。一緒に入った友達と夜ホテルで見たリトラや一緒に行ったジャニショも超楽しかった。
その夏やって来たんです、怒涛の伊野尾フィーバーが。あれよあれよという間に伊野尾くんは時の人になりました。レコーダーがフル稼働で容量が常に足りない。自担をこんなにたくさんの番組で見られて、こんなにたくさんの雑誌で見られて、なんて幸せなんだろう!と思っていました。ギリギリフィーバー前に降りていたので一抹の寂しさを感じないわけではなかったものの、ド新規なのでそこはド新規なりの慎ましさでカバーです。

仲の良い友人ふたりがJUMPに降りたこともあり、JUMP熱は高まっていくばかり。わたしはいわゆるデータ派ではなく、雑誌もテレビも完璧に追うことはしてなかったのですが、それでも幸せで楽しかったんです。

ここまでは担降りして幸せにジャニヲタ生活を送れていてよかったね、という感じなのですが、その反面、JUMP担、伊野尾担でありながら、わたしはエイトと丸山くんへの気持ちをまったく忘れられずにいました。また、丸山担である自分のことも忘れられなかった。丸山くんを「元担」と呼ぶのも嫌だったし、丸山担の人が丸山くんを「自担」と呼ぶのが羨ましくてたまらなかったし、とにかく未練がありすぎて、担降りってこういうものなの?こんなに忘れられないものなの?と疑問が募る日々でした。降り先がある担降りが生まれて初めてだったんです。なんとなく不誠実な気がして誰にも言えず、他の方がどういう風に元担のことを思っているのか知りたくて担降りブログを片っ端から読みましたが、元担への未練について書かれたものはなかなか見当たりません。当たり前ですけど。

だからなのか、伊野尾担としての自覚もはっきりと持てないままだったんです。ふわふわとした掴み所のない感覚のまま、降りて1年ちょっと経ったときに入ったJUMPコンで、ようやく伊野尾担としての自分に自信を持つことができました。コンサートのコンセプトが素晴らしかったのと、前のツアーを遥かに上回る様々な演出。あとは俗っぽい話になるけれど正直ファンサをいただいたのも大きな要因かなと思います。

ファンサうちわは持たない主義なのですが、名前うちわを自担に見つけてもらうのはやっぱり嬉しいんです。伊野尾くんの名前を書いたうちわを伊野尾くんに見つけてもらい反応をいただいたことで、伊野尾担としてのアイデンティティが確立されたような気になったんです。我ながらチョロすぎます。

コンサートDVDはやく出ないかなあ!などと思いつつ、ちょうど仕事がすごく忙しくなったのでジャニーズばかりにかまけていられなくなりすこしジャニヲタの仕事をサボっていたときに事件は起こりました。

年末に立て続けに放送される音楽番組の特番です。伊野尾担の自分が確立されたからといってエイトへの気持ちはまだそのままなわたしは普通にエイトの出番を待っていました。そこで目にしたものが「NOROSHI」です。あっ新曲やるんだ〜初めて聴く〜!わーー衣装かっこいい!かっこいい!と無邪気にはしゃぐあの時の自分に「お前は10秒後に死ぬ」と予め言っておいてあげたい。心の準備をさせてあげたい。

NOROSHIのイントロ、大倉くんの軽めのドラムから始まり、やってきたのは丸山くんの重い重いスラップベース。
わたしは握りっぱなしのiPhoneの開きっぱなしだったTwitterに「は?」とだけ打ち送信しました。ほんとうに、は?という気持ち。は?かっこいいんだけどなに?という気持ち。呆然としました。曲自体も関ジャニ∞の真骨頂、大好きなタイプのやつでした。終わったあとのことはなにも覚えていません。正直あの番組で他のGがどんな衣装で何の曲を歌ったのか、ビタイチ覚えてないんです。それだけ衝撃でした。

まだ発売されていなかったNOROSHIを予約し無事手に入れ、Twitterで見かけたツアーのセトリに転げまわり、本来行かないつもりだった年始のコンサートにも行くことに。だって生でNOROSHIを聴きたい。丸山くんのベースの音を感じたい。
さて、しかしここでわたしの伊野尾担としてのアイデンティティはまた揺らいでしまいます。だってこんなのずるい。こんなにかっこいいのずるい。いつも丸山くんなんだ、丸山くんの紡ぐ声で恋に落ちて、今度は丸山くんの指が弾くベースでまた恋に落ちてしまうのかもしれない。

1年半前に悩み抜いて考え抜いてめちゃくちゃ泣いて担降りという大決断をしたのに、それがこんなに簡単に覆されそうになるなんて認めたくなかった。意地ももちろんあった。できることなら伊野尾担の自分にしがみついておきたいと思った。でも気持ちの揺れが止まることはなかった。

掛け持ちできたら楽なのかもしれないけどわたしは担当はひとり派で、オンリー担になれたら楽なのかもしれないけどわたしは自担がいるグループが自ユニなんです。伊野尾くんが好き、でも丸山くんが好き、エイトが好きだけどJUMPも好き、でもひとつずつしか持てない、背負えない、と毎日毎日悶々としていました。

そんなわたしの気持ちを知った友達が「もう一回丸山担になれるのってすごくない?そんなことなかなかないよ?」と言ってくれたんです。なんつーかもう、これは仕方ないのかな、と。
とはいえしばらく曖昧なままで放置して、カウコンを見て決めよう、と思いました。エイトコンは目前だったし入ってから決める手もあったけど、コンサート後の魔法にかかった状態だと正常な判断ができるはずないとわかっていたからです。
そして大晦日、どきどきしながら紅白、カウコンを見ました。毎年恒例ジャニーズのみなさんと一緒に年を越した瞬間に、丸山くんの担当に戻ると決めました。不可抗力でした。わたしはわたしの目が耳が心が何を追いたがってるのか、わからない振りをしていただけで、そんなことはすでに知っていました。
この場合降りるという言葉が正しく当て嵌まるのかはわからないのですが、ド新規のくせにド新規のままわたしはJUMPから、伊野尾くんから、降りてしまいました。

JUMP担、伊野尾担として過ごした1年半を無駄だったなんてまったく1ミリも思わないしすごくすごく楽しくて充実してて幸せだった、JUMPのことは今でもこれからも大好きだしずっと応援していくつもりです。
ずっと伊野尾くんが好きで応援している伊野尾担の方々には軽々しく降りやがってと思われるかもしれないしそう思われても仕方のないことですが、わたしも真剣でした。気軽に担降りできるほど丸山くんのことを浅く好きでいたわけでもないし、そのときはほんとうに身を切るくらいの覚悟で降りたんです。身体がばらばらになりそうでした。でもそれだけ、担当として伊野尾くんを見つめていきたいと切望したんです。これからのジャニヲタ人生を伊野尾くんとHey! Say! JUMPに捧げたいと本気で思ったんです。
ただ、どうしても、丸山くんだった。そして丸山くんが関ジャニ∞でいる限り、関ジャニ∞関ジャニ∞としてステージに立っている限り、わたしはあの人たちから離れられないようなんです。どうやら。きっと。たぶん確実に。

わたしが降りた、戻ったところで伊野尾くんや丸山くんになんの影響もないのは百も承知だけど、担当というのはジャニヲタにとって特別な意味をもつ言葉で、勝手にではあるけれど、なにかを捧げるためのひとつの指標として大事に大事にしているものだから、ちゃんとしたかった。ちょっと前に友達と話した時に「わたしにとって丸山くんは太陽で伊野尾くんはキラキラした宝石なの」と言ったんだけど、たぶんそれはこれからもずっとそうです。時には泣いちゃいそうになるくらいあったかく、時にはしんどいくらいギラギラ照らしてくる太陽と、大事に大事にしたい、ため息が出そうなほどきれいな、宝物みたいな宝石。


今年は去年あまり行動的になれなかったぶんも、すこしだけいろんなものの比重をジャニーズに割きたいと思っています。
なにがあってもアイドルが好きで、ジャニーズが好き!